「キリスト教福音宣教会(CGM)?」
「鄭明析(チョンミョンソク)牧師って?」
そんな皆さんの疑問にお答えします☘
キリスト教福音宣教会(CGM)とは?
キリスト教福音宣教会(CGM)は、
鄭明析(チョンミョンソク)牧師が
創設した団体で
現在70か国の人たちが
聖書の御言葉を聞いています
鄭明析(チョンミョンソク)牧師って?
キリスト教福音宣教会(CGM)の創設者
1945年 韓国の石幕里(現:月明洞)出身
聖書の御言葉を 私たちに
分かりやすく教えてくれる牧師さんです
貧しい幼少時代・聖書との出会い
韓国の山奥で、
築150年の平屋に家族9人。
極度の貧困生活をしていました。
何日も飢える日々が続き、木の根などの
食べても死なないものなら
何でも口にしながら生きるような生活…
「なぜこんなに苦労をしてまで
生きないといけないのか?」
そのように悩み生きる中で
彼が出会ったのが「聖書」でした
祈り続けた青年時代
試しに読んでみた聖書は
内容がよく分からず…。
聖書を読んで、祈ってみましたが
生活は何も変わりませんでした。
しかし、その中で
少しずつ神様の愛を感じるようになり
「今まで問題だと思っていたことは、
問題ではなかった」
という考えの変化が生まれたことで
人生の問題が解決され、
「神様を愛すれば、
すべての問題が解決する」
と思うようになりました。
そして
「神様を知らないまま生きる人々が、
あまりにもかわいそうだ」と感じ
自分自身のための祈りを超えて、
民族や世界のために、
切実に祈るようになりました。
ベトナム戦争への参戦
20代になり、約3年間
ベトナム戦争に参戦しました。
でも
いつも聖書を持ち歩き、
神様にお祈りをしていたので
戦友からつけられたあだ名は
「牧師」でした。
自分が死なないために、
相手を殺さなくてはいけない
「戦争」でも
『命を愛しなさい』という
聖書の教えを守りました。
「殺せ」と命じられた捕虜を、
殺さずに生かしたり
乱闘の中でも、
わざと上空に向けて銃を打ったりして
1人の命も殺しませんでした。
その結果、
捕虜から聞き出した情報で、
戦闘せずに勝利でき
勲章を6つ授与し、表彰もされました。
この戦闘方法が戦争映画となったり
韓国軍の模範作戦として
現在も学ばれていたり
上官が、彼を題材とした
本を出版したりしました。
【参考】チェ・ヒナム著『ベトナムの戦場で出会った神様の人』(2010年、タビッ出版社)
■ベトナム戦争参戦 | 鄭明析牧師の生涯
■ベトナム戦争~作戦でのエピソード | 鄭明析牧師の生涯
■ベトナム戦争~2回目の参戦 | 鄭明析牧師の生涯
■ベトナム戦争終戦、帰国へ | 鄭明析牧師の生涯
本格的な修道生活へ
ベトナム戦争から帰国後
「御言葉(神様の言葉)を
人々に伝えることが
自分が人生ですべきことだ」
と思うようになり
山の中や洞窟で祈り、聖書を読んで
町に出て行って
人々に聖書を教え始めました。
しかし、当時は
口下手で恥ずかしがり屋だったので
緊張してうまく話せず、
そんな自分を責めて
自殺しかけたことも…。
それでも
神様のために生きたい一心で、
身寄りのない衰弱した15歳の子を
「戦友の弟だ」と言って引き取り
就職先が見つかるまで
世話をしてあげたり
路上生活者になけなしの
自分のお金を与え、
神様の愛を教えたりしました。
そのせいで
村の人から「気が狂った」と
軽蔑されてしまうこともありました。
ソウルで御言葉を伝え始める
33歳になってから
ソウルへ出て聖書を教え始めました。
最初は、家も無く食べる物も無く
ソウルの山奥で毛布一枚で寝起きをし、
話を聞いてくれる人もいませんでした。
それでも諦めずに
人々に聖書を教えていくと、少しずつ
話を聞いて感動する人や
「あの人の祈りで病気が治った!」
と話す人も現れ
地域で評判になりました。
最初は、頼まれた人の家に訪問して
祈ってあげたり、
聖書を教えたりしていましたが
ソウルに行って数年たつ頃には、
1日に何十人の人が、自ら彼の元に
尋ねてくるようになりました。
そこで、場所を借りて
聖書を教え始めるようになり
少しずつ集まる人々も
増えていきました。
38歳の時には神学校にも入学し
韓国の各地域に
教会を作っていきましたが、
彼に対して
誤解や強い反感を抱く人たちも
多く出てくるようになりました。
世界に御言葉を伝え始める
54歳からは海外に向けても
聖書を教え始めました。
しかし、なかなか受け入れられず
軽蔑や誤解をされることも
多々ありました。
そんな中でも
様々な芸術や文化を通して
神様や聖書を教えていきました。
54歳の時には
国際文化芸術平和協会GACPを作り
文化と芸術とスポーツの交流をする
平和大会を開きました。
その中で、彼はいつも
みんなに水を配り、
ボールを拾ってあげ、
怪我人が出ると、直接1人ずつ、
自ら真心を込めて介抱しました。
そんな彼の姿に、海外の人たちも
少しずつ心を開いていきました。
56歳の時には
現代医学では治療困難とされる病気
(精神疾患等を含む)を
約25年間癒してきた功績が認められ、
国際代替医療大学医療研究センター(OIUCMED)から
博士号を授与されました。
冤罪・10年間の獄生活
60歳の時、
性的暴行の冤罪をかけられ
10年間、刑務所で
生活することになります。
【参考】■摂理(宗教)の真実
刑務所の環境はとても劣悪で
その辛さから自殺してしまう人々が
多いような状況の中でも
1日も欠かさず
御言葉を手紙に書いて
人々に伝え続けました。
また
毎朝午前1時に起きて
民族や世界の平和のために、
人々の抱える問題のために
神様に4時間以上祈りました。
1日に300通以上送られてくる
人々の悩みの手紙に返信をし、
健康のために1~2時間おきに
独房の中で運動をし、
時間がもったいなくて
果物一口で1日を過ごし
午後10時には就寝し
また早朝に祈る生活を続けました。
その行動を見ていた
刑務官や囚人たちの間で
「彼は人間ではない。神様の人だ」
という噂が広まり、
中には彼に人生の悩みを
相談しにくる人もいました。
故郷・月明洞を自然聖殿として開発
44歳の頃から
故郷の月明洞を
神様の宮(自然聖殿)として
開発し始めました。
彼は
「岩と花と木を使った造景」の
インスピレーションを受け、
数十~数百トンもある岩を
立て始めます。
しかし雨風や積み方の問題で
計5回も造景は大きく崩れてしまい…
それでも
「岩は崩れても、私の心は崩れない」
と話しながら、約10年かけて
岩の造景(通称:野心作)を
完成させました。
数百トンの岩を、
10階建てのビルと同じ
高さ37mに積むのは
とても危険な作業でもあり…
作業の途中
岩を運んでいた
フォークレーンのワイヤーが切れ
怪我をしそうになった弟子をかばって
彼の上に岩が落ちてしまいました。
しかし、奇跡的に
フォークレーンと岩の間の隙間に
彼が倒れこんでいたため
片腕に擦り傷ができただけで
他に怪我はありませんでした。
そのような時にも
「神様が助けてくださったから
まずは神様に感謝の祈りを捧げよう」
と話し、まず神様に感謝を伝えてから
怪我の手当てをしました。
67歳の時に
この岩の造景は
「ヨーロッパのカトリック聖殿に
匹敵するほどの国家的価値を有する」と
評価されました。
(NewsMaker,Korean Media Company,4月号 抜粋)
芸術家としての功績
牧師として活動しながら
様々な芸術活動もしました。
44歳の時には
詩集『霊感の詩』で
ベストセラーを記録し
50歳の時には
月刊「文芸思潮」に
計3000編の詩を発表しました。
その才能と業績が評価され、
韓国を代表する詩人として
「韓国100年史詩人」に公式登載、
「韓国詩大辞典」(イージェーピーブック、2011年)改訂増補版に
掲載されました。
66歳の時には
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで
現代美術展2011
(ARTE CLASICA CONTEMPORANEA 2011)が
開催され
韓国から唯一出展された、
彼の作品「運命」が
世界中の著名画家3000人の中から
代表作品として選ばれました。
このことは
アルゼンチン現地放送局
「Canal A」をはじめ
4つの放送局でテレビ放映され、
多くの政府関係者・著名人・芸術家が
彼の作品を見て感嘆し
「力あふれる墨線を
一度に描き出すその驚くべき能力、
作品の中に生きている
イエス・キリストの精神を垣間見た。
世界的に有名な画家が
アルゼンチンに来た。
この方の作品は神の境地に
至っている作品であり完璧だ」
と評価しました。
68歳の時には
高麗大学放送とソウル教育放送が
共催で毎年開催している
「最も美しい人」にノミネートされ
ソウル文学賞を受賞しました。
出所後の生活・執筆活動
2018年に彼は獄生活を終え
翌年の74歳の時には
朝鮮戦争およびベトナム戦争に
参戦した勇士を称える
「自由平和守護塔建立14周年記念式」に
元軍人代表として参列し、祝辞を述べ、
ベトナム参戦の著書
『戦争は残忍だった。愛と平和だ』を
出版し「真の平和の意味」を
伝えています。
75歳の時には
韓国の雑誌
「Korea Post(コリアポスト)」に
彼のこれまでの人生と月明洞の記事が
掲載されました。
雑誌の中で彼は
「雑草で生い茂り、
誰も訪れなかった月明洞を
神様の指示通りに開発したときに、
全く別の世界になりました。
そのように、運命もあなた自身が
どのように作るかで変化します。
神様の言葉で自分を作りなさい。
そうすれば、生涯を通じては勿論、
永遠のために
多くのものを得るでしょう。」
と話しています。
引用:鄭明析牧師の生涯より(上写真:前列左から6人目が鄭明析牧師)
鄭明析牧師の今
2022年現在は、故郷・月明洞から
これまでの生き方から、何一つ変わらず
人々に神様と聖書の御言葉を
教えています。
引用:世界一の自然聖殿 | 月明洞公式サイトより
鄭明析牧師についての本・サイト