今日は「生きる重み」について、時編を見返して思ったことをまとめます。
(時編を見てくださった方ありがとうございます。
見ていない方、よければ一度見てほしいです^^)
![](https://shakainomondai.com/wp-content/uploads/2023/10/1697101460393.jpg)
今回170枚ほど絵を描きました。
楽しく描けた絵もあれば、ひと線ひと線描く地道な作業に
「何か意味があるのかな」と問いかけながら描くこともしました。
映像をまとめきったあとも、リリーと何度も修正を重ねました。
見返した分、感じることや気づくことが自分の心に応じて変わってきます。
でもこの作品は共通して感じることがありました。
それが「重み」です。
「生の重み」
皆さんは生きている重みをどれほど感じていますか?
私は、こんな話を描きながら、恐ろしいことに
そこまで重みを感じていない、のです。
神様が思うほどに「重み」を感じていない。
なぜか。
時編の絵を描いていて疲れている時、思うんです。
「オヤビンを全部描き終わったら、もう死んでもいい」と。
死んでもいい、だなんて、(もちろん自殺するわけではありませんが)
それくらい自分の人生を深く見れていないんだなって思うんです。
それで、時編を見ると、すごく心が重たくなる。
なぜか…
私が生まれた時、どんなに神様が喜ばれたのか。
生きている中で、どんなに神様は助けてくださったか。
死のうとするとき、どんなに神様は苦痛でもがいているのか。
感じるからです。
宇宙地球を創造し、人間を創造し終わったとき、神様は
「はなはだよかった」とおっしゃったんです。
![時編③アニメより](https://shakainomondai.com/wp-content/uploads/2023/10/34EB5DD7-2EFD-4A6F-93D0-79712CA4615B.jpg)
どんだけ喜んだなら「はなはだよかった」なんて話すでしょう。
その心情を、私はまったくわかっていない、と思います。
オヤビンとコブン同様、私は全然わかってないんだなって、
見返すたびに重く心に響いてのしかかります。
「自分の価値がわからない。」
「自分が愛されているのかわからない。」
そう悩む人は信仰を持っている人でもたくさんいます。
自分の価値というのは、自分ではわからないなってつくづく思うんです。
私が私を見ると、長所よりも短所がたくさん見えるし、
悩みと不安と心配と大変さと苦痛が見えるから、わからなくなります。
御言葉を聞くと、「自分は大切だ、貴重だ」と教えてくれますが、
それをどうやって実感できるでしょうか。
実感するのも、本当に難しい。
自分だから難しい。
でも、時編は、その「重み」が感じられると思います。
それくらい、
「私」という人生が重い
また
「あなた」という人生も重い
神様がくださった人生、その貴重さを私たちが知るためには
私たちは続けて神様の御言葉を学び、
向き合い、生活の中で知ろうともがくしかありません。
だからこそ
御言葉が機会だと感じます。
なぜ機会なのかというと、
そういう貴重さや重みに目を向けるより、
目の前の娯楽に目を向けた方が楽に思ってしまうから。
(SNSやYouTubeや、とういった情報を見ている方が正直、楽、と感じませんか)
だから御言葉を聞くと向き合う機会が来ます。
「神様から見た私」について向き合う機会が。
そうやって向き合う先に
神様が「はなはだよかった」と言葉にするしかないくらいの
価値が見えてくる。
(それも少しずつ見えていくのですが…)
この作品も
ひとりひとりの「生の重み」と向き合う機会になれたらなと祈っています。
時編3話(終)