あとがき

「わたしが生きる重み」~時編を見返して思ったこと

今日は「生きる重み」について、時編を見返して思ったことをまとめます。

(時編を見てくださった方ありがとうございます。
 見ていない方、よければ一度見てほしいです^^)

今回170枚ほど絵を描きました。
楽しく描けた絵もあれば、ひと線ひと線描く地道な作業に
「何か意味があるのかな」と問いかけながら描くこともしました。

映像をまとめきったあとも、リリーと何度も修正を重ねました。

見返した分、感じることや気づくことが自分の心に応じて変わってきます。
でもこの作品は共通して感じることがありました。

それが「重み」です。

「生の重み」

皆さんは生きている重みをどれほど感じていますか?

私は、こんな話を描きながら、恐ろしいことに
そこまで重みを感じていないのです。

神様が思うほどに「重み」を感じていない。

なぜか。

時編の絵を描いていて疲れている時、思うんです。

「オヤビンを全部描き終わったら、もう死んでもいい」と。

死んでもいい、だなんて、(もちろん自殺するわけではありませんが)
それくらい自分の人生を深く見れていないんだなって思うんです。

それで、時編を見ると、すごく心が重たくなる。

なぜか…

私が生まれた時、どんなに神様が喜ばれたのか。
生きている中で、どんなに神様は助けてくださったか。
死のうとするとき、どんなに神様は苦痛でもがいているのか。

感じるからです。

宇宙地球を創造し、人間を創造し終わったとき、神様は
「はなはだよかった」とおっしゃったんです。

時編③アニメより時編③アニメより

どんだけ喜んだなら「はなはだよかった」なんて話すでしょう。

その心情を、私はまったくわかっていない、と思います。

オヤビンとコブン同様、私は全然わかってないんだなって、
見返すたびに重く心に響いてのしかかります。

 

「自分の価値がわからない。」

「自分が愛されているのかわからない。」

 

そう悩む人は信仰を持っている人でもたくさんいます。

自分の価値というのは、自分ではわからないなってつくづく思うんです。

私が私を見ると、長所よりも短所がたくさん見えるし、
悩みと不安と心配と大変さと苦痛が見えるから、わからなくなります。

御言葉を聞くと、「自分は大切だ、貴重だ」と教えてくれますが、
それをどうやって実感できるでしょうか。

実感するのも、本当に難しい。
自分だから難しい。

でも、時編は、その「重み」が感じられると思います。
それくらい、

 

「私」という人生が重い

また

「あなた」という人生も重い

 

神様がくださった人生、その貴重さを私たちが知るためには
私たちは続けて神様の御言葉を学び、
向き合い、生活の中で知ろうともがくしかありません。

だからこそ
御言葉が機会だと感じます。

なぜ機会なのかというと、
そういう貴重さや重みに目を向けるより、
目の前の娯楽に目を向けた方が楽に思ってしまうから。
(SNSやYouTubeや、とういった情報を見ている方が正直、楽、と感じませんか)

だから御言葉を聞くと向き合う機会が来ます。
「神様から見た私」について向き合う機会が。

そうやって向き合う先に
神様が「はなはだよかった」と言葉にするしかないくらいの
価値が見えてくる。

(それも少しずつ見えていくのですが…)

この作品も
ひとりひとりの「生の重み」と向き合う機会になれたらなと祈っています。

 

 

 

 

時編3話(終)




ABOUT ME
麦わら
東京都民。キリスト教福音宣教会に通いながら作家を目指してます。現在は社会問題を扱いながら漫画やアニメを制作中!オヤビンたちと共に夢に向かって歩む毎日です。幼稚園で精神、身体的にサポートが必要なお子さんの支援をしています。
オヤビンとコブンを描いてくれました!ほんまにありがとう!
もし描いてくださった方いましたら…

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