当ブログでは
過激で異端的な新興宗教
この特性が摂理にあるかを
論理的に検証します。
「異端」「新興宗教」の定義は?
「異端」
狭義では、一宗教集団内部において、教義上の重大な異説の固執による正統信仰からの逸脱をいう。自己の意見を正統とする側からの排他的呼称である。
引用:異端とは-コトバンク
「新興宗教」
既成宗教に対して、新しく興った宗教。日本ではおもに第二次世界大戦後、全国的に教勢を拡大した宗教をさすことが多い。新宗教。
引用:新興宗教とは-コトバンク
つまり
過激で異端的な新興宗教=
■偏った穏やかでない思想や行動
■伝統信仰からの逸脱
■正統とする側からの排他的呼称
■1945年以降に拡大
「異端」「新興宗教」=「危ない」
という意味かと思いきや
実は正確には
そうではないようです。
「異端」と「正統」の違い
もし
異端=摂理とすると
正統=キリスト教になると思います。
ではなぜ
キリスト教は「正統」と
言えるのでしょうか?
「正統」
創始者の教え・学説・思想などを正しく受け継いでいること。
引用:正統とは-コトバンク
つまり
「正統」=創始者の思想が中心
と言えます。
では
キリスト教の創始者は
誰でしょうか?
キリスト教の定義から
考えてみましょう。
「キリスト教」
イエスをキリスト(救世主)と信じる宗教と定義づけることができる。
旧約と新約から成る「聖書」が経典。
引用:キリスト教とは-コトバンク
まとめると
キリスト教=
■イエスをキリストと信じている。
■「聖書」が思想の中心。
■「聖書」にはキリストについて書いてある。
このようになります。
つまり
キリスト教
↓
「イエスの思想」が書かれた
「聖書」を中心にしている
↓
創始者の教えを中心にしている状態
↓
「正統」な宗教
このように説明できます。
キリスト教は「聖書」を
中心にしていることから
「正統」と呼ぶことができるようです。
摂理=異端と呼ばれる理由
では、異端と呼ばれる摂理は、
何の教えを中心にしているのか…?
キリスト教福音宣教会の
公式サイトを見てみると
私たちキリスト教福音宣教会(Christian Gospel Mission)は、神を知り、信じ、そして神が願う愛を成すことを目標としています。 そのために、神の言葉である「聖書」を中心にしています。
引用:【公式】キリスト教福音宣教会 | 私たちについて
このように記載されています。
摂理会員が書いた
御言葉についてのブログも見てみると…
摂理の御言葉は
正統と言われるキリスト教と同じ
「聖書」の教えを中心にしていました。
このブログの内容からは
「過激」に該当する内容も
見受けられません。
(「過激な御言葉を引用していないだけだ!」
と思われた方は、こちらのサイトから、
ぜひ過激な御言葉を探してみてください!↓)
■摂理の名古屋嬢 シャロンのブログページ■
つまり
キリスト教は「聖書」を中心にしているから「正統」
↓
摂理も同じ「聖書」を中心にしている
↓
摂理は異端と言い切れない
このように解釈ができます。
キリスト教も「異端」とされた過去
新約聖書に
このような聖句があります。
子供たちよ。今は終りの時である。
あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。
それによって今が終りの時であることを知る。
ヨハネの第一の手紙 2章18節
これはイエス・キリスト
つまり今のキリスト教が
当時「異端」と考えられ、
迫害を受けていたことを
示している聖句です。
しかし最終的に、キリスト教は
世界で最も信じる人が多い宗教に
なりました。
つまり
当時は「異端」扱いをされましたが
その教えは「正しいもの」であった
ということです。
これはキリスト教だけではなく
「天動説」と「地動説」においても
言えることです。
当時は
地上から見た様子だけを見て
多くの人たちが「天動説」を支持し、
「地動説」を異端視しました。
しかし
科学が進歩し、様々な法則が見えてきた結果、
今は「地動説」が「正しいもの」と
なりました。
「異端だ」「間違っている」
と感じる思想や組織だったとしても
必要な知識や教理を正しく理解して
確認した結果
それが「正しいもの」であった
という歴史が
キリスト教においても地動説においても
存在しているということです。
摂理の創設は1999年
摂理の公式サイトによると
■1982年3月
CGMの前身となる大学生宣教会創立
■1999年10月
キリスト教福音宣教会(CGM)設立
引用:【公式】キリスト教福音宣教会「私たちについて」
と書いてありますから
■1945年以降に拡大した宗教
創設時期だけで言えば
摂理は新興宗教に該当します。
しかし
カルトの定義は
「過激で異端的な新興宗教」
であるため、
創設時期だけを見て
「摂理」=「過激で異端的な新興宗教」と
定義することはできないと考えます。
まとめ
これらのことから
「異端」「新興宗教」≠「危ない」と言え、
過激で異端的な新興宗教
というカルトの定義は
摂理に該当しなさそうです。
以上が摂理会員である
私の見解です。
最後までブログを読んでくださり
ありがとうございました☘
(今回はコトバンクの「異端」「新興宗教」を定義として考えたため、定義が異なれば、「異端的な新興宗教」という観点に限った場合≠「摂理」とは言えない可能性もあります。)